日本語って難しい

No.10 - 2009/11/23


 ネット上でいろんな人の文章を読んでいるが、書かれている日本語が微妙に変なときがあって、読んでいてお尻がむずむずする。明らかに下手な人なら気にしないのだが、書いている本人が文章がうまいと自分で意識していて、凝った言いまわしをしている場合。たとえば副詞+動詞の組み合わせで、その副詞に微妙にずれた動詞がくっついている。ずれ方が非常に微妙なのでいっそう気持ちが悪い。
 14番目のサンダル

 あーあー、耳が痛い耳が痛い。

 文章を記述すると往々にして文章におかしい点などがあるから、校正や校閲は厳しく行わなければならない。自分で書いた文章の誤りは、自分では見つけにくいので、入念に調べなければならない。客観的に誤りを調べるためには他人に頼むことが最善であるが、それが能わぬこと頻々とあるにて、畢竟恃めるものは自分のみなのである。
 ――というふうに、ろくに理解もしていない単語をむりに使うな、ということだね。ついでに上の文章は意味が通っていないような気がするぞ。
 まあ「難しい単語や凝った言いまわしが繰り返し出てくる文」は「上手い文」である、というのはまったく正しくなくても、どこかわかる気がする。中島敦の「山月記」の文章はいつみても上手いなあと思うし。じっさいに上手いのか上手くないのかは分からない。だけど、「山月記」は、とくに冒頭で、「難しい単語」や「凝った言いまわし」が次から次へと出てくるものだから、そう思ってしまうのだ。

 それではほんとうに上手い文章とは何なのだろうか。べつに専門家でもなんでもないが、ぼくはおのおのの品詞が適切に使われ、配置されている文章だと思う。
 そして、日本語の文章を書くにあたって最も恐ろしい品詞は副詞であると思う。副詞はおもに動詞などの用言に修飾するものである。しかしこれがすごく扱いづらい。例えば、最初に挙げた引用文中にあるように、副詞と動詞のミスマッチが扱いづらさの原因としてひとつある。引用文の著者はどういったミスマッチを想定して書かれたのかはわからないけど、副詞の呼応が成立していないのはよく槍玉に挙げられる(「全然大丈夫」とか)。こういった文法的な話ではなくて感覚的なところを著者は突っ込んでいるようにも思えるが、いまいち例が思い浮かばないのでここでは省かせていただく。
 それから、個人的にもっとも「副詞が扱いづらい」と思う点が、副詞の配置である。一般的に、副詞は動詞のなるべく近くに置いたほうが意味が通りやすい。例えば、前の文「……副詞は動詞のなるべく近くに置いたほうが……」であるが、意識して副詞「なるべく」を、それが修飾する「近く」の直前に置いてみた。しかし「副詞はなるべく動詞の近くに〜」や「なるべく副詞は動詞の近くに〜」といった配置にもできる。ただ、後者はやや不自然な感じがある。副詞が修飾する語と離れすぎた文は、意味が通りにくくなる。つねづね意識して副詞を配置できればいいのだが、キーボードでさらさらと文章を打っているとついついそのことを忘れてしまう。

 そしてぼくはこの文章をおそるおそるアップロードする。なぜおそるおそるなのか。まず、これだけ文章のことについて書いておいて自分の文章にまったく自信がないからだ。また、文章の内容もひどいありさまだからだ。いわゆる知ったかぶりを盛大にかましているのである。しかもそんな大したことのない内容について。文法なんて中学生のときに習ったっきりなのにね!
 以上、予防線でした。



「全然」は否定表現が呼応しなければならないので「全然大丈夫」は誤りである、という人もいれば、昔には「全然」は肯定的表現をともなう形で使われていたのだから誤りではない、という人もいる。ややこしいので、ぼくは「言葉というものは時とともに移ろいゆくものだ」というどこぞの言葉を拝借してこの問題をあしらいたい。


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