便所飯という厚い殻

No.6 - 2009/07/06


 便所飯とは、おもに大学内などで便所の個室内で食事をとることである。不衛生きわまりない便所でどうして食事をするのか。友だちがいないのでひとりで食事をとるのだが、その状況をまわりの人に見られるのが怖いからだという。この「便所飯」現象を本日の朝日新聞夕刊が一面で()取り上げたということで話題を呼んでいる。
 トイレの個室で次のことを禁止します。落書き、喫煙、食事――。こんな紙が、あちこちの大学で張られている。落書きや喫煙の禁止は見かけるが、この張り紙、食事にまで触れている。図柄は同じで、最後に大学名。ところが、どの大学も「張り出した覚えはない」。誰が、何のために。探っていくと、周囲の視線を気にする今の若者を映し出した言葉「便所飯」に行き着く。
(2009年7月6日 朝日新聞夕刊)
 これがその記事の書き出しである。
 じつは「便所飯の禁止」というようなことを書いた張り紙が全く同じ内容・絵柄で各地の大学に張り出されていることは前々から知られていた。大学が便所飯に口を出してくるとは、とひそかに驚きが広がっていたのだが、これは大学のしわざではなかったというのだ。記事内では「書式」なるものがインターネットにアップロードされており、それを用いて学生たちがいたずらをしたのでは、と推測している。それならば、非常に手の込んだいたずらである。

 さて、便所飯というのは言うまでもなく衛生上よくないことである。いつ病気にかかっても文句は言えない。しかし、「背に腹は代えられぬ」という思いがあるのか、便所飯に行く人は後を立たないようだ――と、ここまでの文章は伝聞系が多い。というのも、ぼく自身便所飯はしたことがないし、便所飯に遭遇したことがないからだ。
 ぼくもぼっち飯(ひとりぼっちでとる食事のこと)歴が長いけど、便所飯だけは避けるべきであると考えている。誰かがうんうんときばっているその隣で食べるのだから。そして汚いのだから。あと、見つかったときのリスクは計り知れないと思う。
 上記のような理由をもってしてもなぜ人は便所で食事をとるのか。その最大の原因は「友だちがいない状況を見られるのが怖いから」というものである。これは村社会の色が濃い日本人独特のものなのか――はよくわからないのだけど、とにかく日本ではこういう考えの人が多い。たとえば、ぼくが中学生だったときは「トイレにひとりで行くと『友だちがいない』と哀れに見られる」という話がまかりとおっていた。ぼくはそのことを聞いたとき恐ろしく思った。トイレにもひとりで行かせてくれないのかこの社会は! まあ、その後もひとりで行っていたけど。
 こんな状況になっていると友だちって何だろう、と考え込んでしまう。友達って「自分は寂しい奴だ」とまわりの人に思わせないためのファッションだったのだろうか? そんなことを考えていると、むなしさばかりが胸の中で立ち込める。

 まあ、友だちのいないぼくが言っても仕方ないんだけどね。


地域によっては一面でないこともあるらしい。


雑文集へ

わら半紙へ